Go Westな日々


GoWest2008農とアートと贈与の旅から始まった私たちのGoWestな日々をつづる
by gowest2008

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白金こたね〜白金のかけらを広い集める〜

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こころのたねとして 白金高輪から1週間が経ってしまったけれど、
ようやく清書もおわり、
自分の中でなんとなく整理出来た気がした。


私が聞き取りをさせていただいたのは伊藤方夫さん。
魚らん銀座商店街にある竜雲釣り具店を営み、
商店街の会長や志田町倶楽部の会長も勤めている。


聞き取りに伺ったのは2月3日、
朝9時からお店に居座り、営業の邪魔になりながら白金の昔、
幼少時代、
商店街や志田町倶楽部の活動の話を伺う。


路面電車が走っていて、
広尾の路面電車の操作場に行って友達と部品をもらった話。


高層ビルではなく長家が続いていたけど、
いちこくができる時に区画整理で立ち退きにあって今の場所に落ち着くまで3回引っ越した話。


近所で初めてテレビが来たのはふるさわさんで、
ALWAYS3丁目の夕日の映画のようにみんなが見に行ってた話など、
昔の白金は今とは全然違う。



みんなもいろいろ書いていたり、
話も聞くけれど、
やっぱり白金のイメージは高層マンションとオシャレなお店、
住んでる人はセレブな感じ。


今回自分でこたねをして、9人のこたねを聞いて、
今まで持ってた白金のイメージが壊れた。
だけど、
それでよかったと思う。


私は学校のある町の表面的な部分しか見ていなかったこと。

商店街には古くさいけど、それが良いなと思う場所がたくさんあったこと。

白金志田町倶楽部は白金の今と昔を繋ぐパイプ役のように感じたこと。
そして、
私達明学生もその役割を果たさなきゃいけないと思ったこと。


いろいろなことに気づかされた。





当日、地域の方が私のイメージを超える位たくさんきて、
朗読を聞きながら涙する人、
うん、うんってうなずく人が後ろから全体を見ていて何人も見受けられた。



自分達が聞き取った10人の人生や地域の移り変わりが会場内にいた観客の人々にも伝えられたようで、
他の人の人生にみんなで寄り添えたんだと思う。



まだまだ明学と白金のつながりは薄いと思うし、
まだたくさん可能性があると思う。

今回出会ったたくさんの人との関係を大事にして、
あと1年の大学生活を白金の町と共に楽しみたいと思う。








かな
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by gowest2008 | 2010-02-16 13:53

こころのたねとして at白金高輪 

わたしの言葉で「こころのたねとして」を説明するなら、「いつも通っている道、無言ですれ違っている人と、もう一度出会ってみよう」だと思う。


わたしが白金と関わりを持ったのは、この前の1月の餅つきだった。
それまで白金高輪は、大学の校舎がある場所って認識。

片道4車線の道路、そこをびゅんびゅん走る車、聳え立つ高層ビル、芸能人のいるマンション

でもそんな通りから1歩はいれば、
実は狭い路地には古い家と町工場が広がる風情を感じる町。


聞き取りは2月1日から。
わたしの聞き取り対象者は商店街の電機店の大社長さん
今電機店は息子さんにまかせている。

お歳は85歳
どっしりとした雰囲気としっかりとした語り口
「昭和と同い年なんだよ」っていうのが、印象的だった。

自分の住む町に対する思い
戦地へ赴いた時の話
戦後の経済成長
「いい」時代
区画整備
再開発

なんでもない調子で語られる 「生き残ったのは運が良かった」 「育った家の上は今大通りになってるから」って言葉。
自分の身に置き換えたとき初めて、その重みを知った。

聞き取りを終えてから詩を作るなかで、頭のなかに焼け野原から再生してゆく東京の町並みのイメージが、すごい勢いで湧いてきて

その瞬間
白金はわたしの中で「ただ大学がある場所」ではなくなって、知っている人の住む顔の見える町になった。


当日、冷たい突風の吹くなか

チラシを見て足を立ち止まってくださる方
プロジェクターから白壁に映し出される昔の写真を目を細めて見ている方
「○○さんもいるなら」となかに入ってくださる方

四の橋市場は大賑わい。

詩を朗読しているときも、頷いたり「うんうん」と相槌を打ってくださる方がいて
本当に嬉しかった。


初めてのこたねで勝手も分からず、後悔していることもあるけど
アドバイスをくれたGo Westの仲間や、場をかしてくださった四の橋市場の八百屋さんと鳥彦さん、協力してくださった志田町倶楽部の方々、聴きに来てくださった方々、何より聞き取りに協力してくださった方々に、こんな素敵な機会を与えていただいて、わたしは幸せだなあ、と思った。


そして、白金が、こたねが、わたしを構成する一部になった気がしたのでした。


もろずみちひろ
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by gowest2008 | 2010-02-14 17:54

こころのたねとして白金高輪2010

こころのたねとして もりたゆうき

 今回の「こころのたねとして 白金高輪2010」では、学生リーダーとして参加させてもらった。この企画を行うのに、思った以上に多くの準備をしてきたし、それゆえに白金高輪地域に多く関わってきた。 大学2年になってから、学校の校舎は横浜から白金へと移った。しかしこれまでは、白金におけるほとんどの時間、学校の内に留まっていた。
 白金といえば「シロガネーゼ」というイメージが先行する。大学受験のときは、明治学院大学はお洒落な町のなかのお洒落な建物の大学というイメージであった。大学が決まってから「シロガネーゼ」という言葉を知り、自分も白金は高級でお洒落な町を想像していたし、大学1年の時もそのイメージのまま。しかし、「志田町」ということを知ってから、少しずつ町の見方が変わってきた。目につくには大きなタワーであったが足元を見れば、昔からあるような店や町工場がある。そこで、志田町倶楽部の防犯パトロールや、去年のグローバルフェスタ、世間遺産などのイベントや活動を通して少しずつ白金で暮らす人や営みを持つ人に出会ってきた。そして、今回の「こころのたねとして」で関係を築くこと、白金という街や人とつながりを持てたのではないかと感じている。

 自分が聞き取りを行ったのは、白金商店街の一角にある四の橋市場の奥にある鶏肉専門店「鳥彦」を営む方であった。22歳のときに上京し、鶏肉屋で4年間修業したのちオリンピックの開催と同時に四の橋市場で鶏肉屋を開業し、現在も鶏肉屋一筋で営む方である。

 初めてお会いしたのは、自ら聞き取りを行いたいという趣旨を伝えに行ったとき。職人という言葉が合っていて、じっと自分の言葉を聞くので、少し怖気づいた。しかし、「こころのたねとして」の聞き取りに関して説明をしていくと、「隣の八百屋さんに迷惑をかけないなら。」ということで承諾してくれた。
 そして聞き取り一日目。エプロンを持参し4時間程、お店のお手伝いをしながら、聞き取りというものではなく、おしゃべりをして終わった。鶏肉をさばくことを初体験。いつのまにか自分も黙々と作業に専念しながら、昔の商店街の様子や小さい頃のお話を伺う。しかし、ずっと昔からそうしてきたであろう作業(例えば、午後三時から鳥肉を焼き始める、鶏肉をさばくなど)をすることは、言葉で聞くことより白金の変わらないことを感じることのできる最大の機会であったと思う。鶏肉のさばき方は言葉で説明されるより、見て真似をするといった具合だ。
 また、おしゃべりやお手伝いをするとお客さんがやってくる。ほとんどが常連客である。たまに、物珍しそうに覗き込んでくる方も居る。その一人ひとりと会話をしていく。常連客がいつ来るかを把握していて、その時間や買うものを用意していく。すると約束したわけではないのに、ピッタリと予想していた時刻にきて、用意したものを買っていく。これにはとても驚いた。顔の見える買い物だと感じた。
 「こころのたねとして」は聞き取ったことを表現するにあたり、主に言葉を使って自分以外の人へと伝える。聞き取った言葉だけではなく、仕事をする姿勢や話し方などの仕草や所作を見て感じたことを表現した。聞き取りを行っているときは、どうしても相手のことを知りたいと思い、こちらが用意してきた質問を投げかけてしまいがちであるが、今回の対象の方は口より手が動く職人気質であったので、語らない言葉ではない動作や所作から人柄が伝わってきて、そしてそれを自分が言葉に置き換えていき伝えるものであった。お手伝いをすること、つまり現場に入り聞くことだけでは得られないことを感じることができた。
 また、「こころのたねとして」という手法があったために、今回の体験や聞き取り、それを表現し、伝えることができたのではないかなあと思う。
 詩に表現するにあたって難しいと感じたのは、相手の言葉に責任を持つということ。他者介入することで見えてくること、それにより聞き取られた方が自分の人生を出会いなおすことができるのであるが、無責任なことはもちろん言えない。たった二日間、聞き取りやお手伝いをさせてもらっただけで、その人を表現する。だからもちろん、表現されたなかには自分の偏った印象も含まれていると思う。こんなことを考えて、対象者の方を見るから、なお一層、相手を知ろうと見方を変えてみたりした。

 そして、当日に向け詩を作成し、会場を設営していく。

人が来てくれるのかとかは直前になってみないと分からない緊張感。対象者の方が都合により来られなくなったという空虚感。イベントを成功させたいという高揚感。

そんななかスタートした。一番で詩を発表した。会場は四の橋市場であり、まさに「鳥彦」があるところ。目をつむったら、昔の雰囲気が感じとることができるよう表現した。間の前には、商店街の通りにはみ出した人が居る。

「市場からあふれる人人人人人人人人・・・・・」※こたねの詩から抜粋

まさにそのような情景が自分の目の前に広がっていた。人だからいが出来て、それにより様々な人がのぞいていく。有名人が居るのではないかと覗く人も居た。しかし、有名人でもないただの学生が舞台に立っているだけだった。アーティストでもないただの学生が表現し、人に伝え発表する。このような場を作り上げる一員になれたことはとても嬉しかった。10名の学生の詩から10名の白金に所縁のある人と白金という場所が見えてきた。

 今回の「こころのたねとして」の実施にあたり様々な人とつながりを持つことができ、このつながりを大切にしつつ、多くの人に支えてもらいながら学生リーダーとして一企画者として実施できたことに感謝し、とにかく鳥彦のからあげが食べたい。

もりたゆうき
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by gowest2008 | 2010-02-14 00:15

こたね白金(ぱーと1)

四の橋商店街の近くにある韓国料理屋「ソウルの家」

自分はその店主であるママさんに今回聞き取りすることになった

今回のこたねの発表までに残されていた時間は一週間程度で、その中でコミュニケーションをとり
話を聞き、詩を作らなければならないという、余裕がない状況だった。

たった一週間ばかり(実質会う機会は2,3回程度)の関わりを通して詩を作ることができるんだろうか。もしくはできたとしても薄っぺらいものを作ってしまったら、それをやることに意味がないんじゃないか。または自分の人生を軽く見られることで嫌な思いをさせてしまうんじゃないかという思いがあった。


発表一週間前
自分は大阪釜ヶ崎にいて、そういう腑に落ちない気持ちを麻衣さんやかなよさんに話した。
すると
「こたねは今までとは違った出会い方をするもの そこから関係を作っていく」
というようなことを言われて、なんか納得するようなしないような気分だった。

発表6日前
初めてママさんに会う
優しそうで、よく笑う人だなと思った。そして自分を気に入ってくれたみたいだった
最初は変に「インタビューしよう」という気持ちが先行し、うまく話しができずに、ぶしつけな、失礼なことを言ってしまった。
外国人が日本で一人で生きていくことは自分が想像できないほど大変なことだと思ったし、自分がそういう人の詩を作れるか不安になった。
でも気を取り直し、まずは積極的に自分のことを話そうとした。恋愛相談もした。
そうやって何気ない会話の中からどんどんママさんのことが分かってくるきがした。

発表4日前
ママと会うのはたった二回目なのに、そんな感じが全然しなかった。
これが釜ヶ崎で麻衣さんたちが言っていた「今までとは違う出会い方」なのかなって思った。
こたねというものがあったから、相手のしぐさひとつ、言葉一つにしっかり目を向ける。ふだんは聞かないことを聞いてみると、そこに大きな物語があって、ひとつ聞くと次が知りたくなる。
そうやって関わったから、こんな短期間なのにすごいよく知っている人のように感じる。


発表前日
ある程度詩はできたものの、最初の部分で悩む。
一番その人らしさが伝わるような内容にしたいと思っていた
結果的に、サービス精神旺盛でよく笑うっていうのを伝えられる言葉を選んだ。
また、ママさんと自分の関係がうまく作れた要因として、自分がへたなりにも韓国語ができたというのがあり、
またこの白金の町でママさんが韓国人だからと嫌がらせする人がいたと言っていたが、確実に同じ町で生きている韓国人がいるというのを、その場にいる人にも感じてもらうために、
あえて最後の部分は韓国語で感謝の言葉を言うことにした。

そして当日を迎える

純一
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by gowest2008 | 2010-02-12 00:15

こころのたねとして 2010.02.07

こころのたねとして白金高輪

私がお話を聞かせていただいたのは、婦人会の元会長のおばあさん

日が差す窓辺に腰かけて、昔の様子を話す姿は、とても穏やかで。
素敵なおばあちゃんだなあという第一印象であった。

話が進んで、写真を見ながらまた質問をしていると、
「あたし、昔はおてんばだったのよ~」というから驚いた。
屋上で先輩に売られたケンカを買って、大乱闘したとか。
朗らかな中にも見え隠れする、お茶目な雰囲気。


「昔はね。苦しかった時代があって…。」と戦後の話をする姿から、
時代の苦しさも厳しさも全部乗り越えてきたという、たくましさみたいなものを感じた。
私は話を聞いて想像することでしかわからないけど、

その細い腕に、地域の子供たちを抱いて。
婦人会の子供たちを公園に連れて行った手。
定例会で、婦人会の会員をまとめあげる声。
80歳の今でも少しも曲がらない腰。
「今だって、いろいろ見つけんのよ。楽しみを。」
女の強さって、こういう聞いてる時のことばの端々とか様子にあるのかなあと思う。


当日。
とても風が強く寒い中なのに、おばあちゃんが来てくださる。しかもお友達を連れて。
嬉しかった。
ビラを配って、歩いている方にもお誘いすると、
「あたしも婦人会だったのよ」
といってのぞいて行ってくれる方がいる。

発表するときに、舞台裏では、りかさんや出番を一緒に待っていたしずか、ちひろが声をかけてくれる。
笑わせてくれたりゅうすけさんのおかげで、緊張もほぐれたり。
一年生も寒いところで、受付しっかりやってくれてたり。
自分が発表したからか、すごく達成感はあるんだけど、
周りにいる人にすごくすごく助けられているんだ、一緒に作っているんだということ
改めて気づくことができたと思う。
ありがとうございました。


何よりも商店街の方、白金地域の方、志田町倶楽部の方々に
感謝を伝えなければ。
一緒に働いた方々、みんなにありがとうと言わなければ。


9日。
お礼のご挨拶とお借りしたアルバムをお返しして、こたねを清書した色紙を渡す。
昼下がりにお邪魔したら、娘さんがちょうどいらっしゃっていて、一緒にお話をした。

「あたしが高校生まではこれ乗ってたっけね?」
昔の写真をゆびさしながら、娘さんは問う。

「そうだったんじゃないかなあ、あたしがわかいころは…」
と目を細めてこたえるおばあちゃん。


親子のそんなやり取りの中にも、地域と記憶を結ぶこころのたねが
播かれているような気がした。


実はまだ初めて会ったときから3回目なのだが、
「今度は家にある大正時代のお雛様に見に来てね」
「絵葉書のたかでら先生の奥様とは、毎週金曜に会うからよかったら」
といっていただいたり。

このこたねで生まれたご縁は、温かく、親戚のおばあちゃんに会っているような
つながりに感じた。
まだうまく言えないのだけれど、これからさらに白金地域につながるように、
これっきりにならないように、
と思った日であった。


やまがあずさ
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by gowest2008 | 2010-02-10 23:57

こたね@白金を終えて


「こころのたねとして in 白金高輪2010」がたくさんのむすびつきをつなぐきっかけを残して終わった。


今回は明治学院大学がある土地、「白金」を舞台に行われた。
「白金」という地名をきいたとき、私は「シロカネーゼ」とか「高級」とか「セレブ」とか、
そんな風なイメージしかもっていなかった。


けれど、今回私がききとりを行った町工場の方にお話しをきいて、


白金という町がもともと工場の町で、まちつくりの中心地であったこと。
今でも町工場が残っていること。
白金という町で、白金でしかできないことを実践していること。


そんなことをお仕事をお手伝いしながらきいた。



また、町を歩いていても、自分のイメージとは違う白金がそこにはあった。
”記憶が埋もれている”。


それを呼び起こす試みが「こたね」。
そして、人と人、人と土地がむすびつくきっかけをも呼び起こす。


当日、会場の白金商店街にある四ノ橋市場には多くの人だかり。
70人以上の人が寒い中、足を運んでくださり、こたねに耳をかたむけてくれた。


そんな中、発表する側の私たちは、ステージの裏側で、とても緊張していた。
寒さからか、緊張からか、震えが止まらない。

「いよいよ私の番…」と緊張もMAXになったとき、
表からgowestのあずさが励ましにきてくれた。

「がんばって」

本当にうれしかった。
みんなや地域の人たちで作り上げてきたこの「こたね」。
それに参加できたことがうれしいと思えた。



イベントが終わったあと「ふるさわ」さんで打ち上げをした。
みんなが笑って、歌って、踊って…。

ききとりの対象者であった伊藤会長や押見さんが
「今回こたねをやってもらって、まだ(私の)卵の殻を割っただけで、核心には迫れていない。一回性ではなく、これから二回目三回目とこたねをやり続けてほしい。自分もまだまだ語りたいけど語れていない部分が多い。だから今回のこたねをきっかけとしてこれからもやっていってほしい。」
とおっしゃっていた。

「よかったねぇ」「本当に感動した」

と言っている傍からもう次へ前を向いている人たちをみて、
「そうだな、これからだな」と思う。





しずか
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by gowest2008 | 2010-02-10 21:34

こたねききとり


今回、白金の町で「こころのたねとして」を実践することになり、
2月1日と2月2日の二日間にわたって金属挽物加工業である町工場を営む親子に
ききとりをさせていただいた。


工場は思っていたよりも小さくて、店先に着くと、ちょうどご主人のお父さんが
「今日は一日だから」
と、お神酒とお清めの塩をまいていたところだった。


工場の中に入ると、大きな機械がところせましと置いてあり、
機械音を立てて稼働していた。


機械の熱で、暖房をつけなくても部屋はあたたかい。


息子さんやお父さんにお話しをうかがいつつも機械の体験をさせてもらう。
「NC旋盤」といって機械にプログラミングをあらかじめして、ボタン一つで製品を加工できる。
昔とちがって旋盤一台に人間一人が付きっきりにならなくてよくなったので、
息子さんが一人で3台を操っている。


「お得意さんにめぐまれている」という話が印象的だった。
ほとんどご近所さんとのこと。
昔からの人脈を活かしてこの町だからこそできる仕事だという。


作業をしているとき、お父さんから
「こうしたら早いよ」「こうしたらやりやすいよ」
というアドバイスをたくさんしていただいた。

息子さんもそれをみて
「親父は本当に人と違ってすごい気転がきくというか、知恵がすごいんだよね~」
と関心していた。


でもそれは息子さんも同じで、ただ、息子さんは、とりあえず
好きなようにやらせてくれて、後でアドバイスをくれる。

やり方は違うけど、どちらも工夫して考えながら仕事をする姿は
まさに職人という感じがした。


機械も新技術でどんどん性能がよくなっているけど、
それは、今までの人たちの知恵の結晶で、工夫してきたから今があるんだなぁとしみじみ思った。


町のことに関してもそれは同じで、
「親が仕事で時間なくて子供の面倒が見れないなら地域で育てることもできると思う」
というようなことをおっしゃっていて、
そういう発想が私にはなかったから、この地域で積み上げてきた土台が
こういう発想を浮かばせるのかなと思った。


そういう姿がとてもかっこいいなぁと思う。


今回、ききとったこと、体験したこと、感じたことを、
緊張するけれど、自分なりに工夫してこたねでお返しできたらな思う。





しずか
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by gowest2008 | 2010-02-04 15:02

こたね取材〜畳屋さん〜

前の記事でお知らせをしていました、こたねの発表会に向けて、聞き取りを行うために私は、畳屋さんへ1日行きました。

江戸時代から、代々続く畳屋さんで、40年ぐらい前からは、襖や屏風も手がけており、現在は息子さんとお2人で畳屋を営んでいます。


私は、朝の9:30頃、お店へ向かいました。
正直に言うと、内心とてもドキドキしていました!!初めてお会いする緊張感もありますが、どんなお話が聞けるのか…楽しみといった意味でもドキドキでした。


ご挨拶をし、お店の中に入ると、い草の良い香りがお店の中に広がっているのを感じました。

時期として、特にお忙しい時期ではないようなので、お話をするところから始めました。

畳みのこと、戦争のこと、白金の昔の話…。

印象的だったのは、畳みの話をする時に、お店の奥からいろんなモノを見せてくれて、1つ1つ丁寧に教えて頂いたこと。畳みの部分のへりの種類や畳みの種類を実際に見せて頂いたり、図を書いてくれたりと、私にたくさんのことを教えてくれました。短い間で、畳みを知り尽くせたのではないか…というぐらいです!!

お話してくれる時の表情も印象的で、すごく楽しそうに話を教えてくれて、目がすごく楽しそうでした。

それと同時に、日本の文化の代表である畳みについて、家にも畳みはあるし、漠然と畳みは好きだったけれど、私はなーんにも知らなかったんだなぁと改めて思いました。

また、い草に代わって新しい材料や和紙を使った畳みが出てきたこと、昔は、とても大きなお屋敷が広がっていた白金の町もいつしかお屋敷がなくなり、マンションやビルが立ち並んでいったこと……昔を懐かしいと思いつつも現代の状況をしっかりと掴み、その中で精一杯畳みをお客さんに提供していく…という風に語る目や口調も印象的でした。


カメラ取材が来た時に、実際に畳みの道具を使うところを体験することもしました。

その手早い動きで3種類ある包丁を使い分けていきます。包丁を使い、手早く作業している姿を見て、普段、敷いてある状態でしかなかなかみることが出来ない畳みに動きがあるなぁと感じました。

また、この時つぶやいてた「昔の人はすごい」という言葉に、上手く表現は出来ないけれど、重みを感じます。


カメラ取材が終わり、午後からはお土産を作ったら、ということで、ミニ屏風作りをさせてくれました。

オリジナルの屏風を一緒に作っていくときにチラリと見える手の皺が印象的でした。

作業は、ご主人の器用さに圧倒され、私はなんどか失敗をしてしまいましたが、上手く出来ると褒めてくれて、それがなんだかとてもくすぐったくて、嬉しかった。

糊を乾かしている間は、自分で開発したという道具を見せてくれたり、お家の話をしたりして、完成する頃にはあっという間に3時でした。

お店を出るまえにポスターを渡し、電話をしようと一旦外へ…。

お家の中に戻ると、そのポスターに色塗りをして待っていてくれて、そしてそのポスターはしっかりお店に貼っていただけました!!


7日も来て頂けるそうで、もう、これは超全力で頑張るしかないです!!

頂いた様々なモノを上手く使い、こたねを届けたいなとおもいます。



ななうみりか
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by gowest2008 | 2010-02-02 15:35

こころのたねとして 白金


今、自分たちが関わる場所、通り過ぎる場所、立ち止まる場所・・・自分たちはどのくらい知っているのでしょうか?

誰かの人生をのぞいてみたら何が見えるだろうか?
家族や仕事、そして暮らしや営みに息づく場所・・・




こころのたねとして 白金
【日時】
2月7日(日) 15時~「こころのたねとして」朗読会
トークセッション





現在、白金地域は再開発やマンションブームにより新しい住民が増え、地域での交流・無関心が生じています。白金といえば「シロカネーゼ」のイメージが先行し、残念なことに人々のつながりの強く、あたたかかった昔ながらの町は、イメージされにくく昔から住む人の記憶のなかにだけになりつつあります。
そうしたなかで、地域に所縁のある方の暮らしや営みに若者たちが触れ、そこに暮らすヒト、そこにあるモノ、そこで起こるコトに出会い、聞き取りを行いながら、まちと人の過去をとどめながら、未来に向けて、モノガタリとして紡ぎだします。
そこで旧志田町エリアを中心に、明治学院大学の学生が「こころのたねとして」というワークショップを行います。



「こころのたねとして 白金」は、明治学院大学の10人の学生が志田町とゆかりのある人と出会い、共に時間を過ごし、その人と志田町との絆を詩として表現します。そして古くから人びとになじまれた「四の橋市場」を会場に朗読パフォーマンスを開き、町行く多くの人びとに「志田町」という場所との絆を感じてもらいます。(このワークショップの様子はみなとケーブルテレビで3月後半に放送予定です)




「こころのたねとして」とは?
大阪を拠点に活動するアートNPO「こえとことばとこころの部屋」が考案したワークショップ。地域に生きる人の、その人生を聴き取り、言葉や声や、身振りとして現前させ、そこに立ち会った人びとが、共にその土地との絆を結びなおす試み。




白金志田町倶楽部
白金志田町倶楽部は「白金高輪エリアに居住、勤務、もしくは区域外にいても、この地域を愛し、もしくはこの趣旨に賛同する」20歳代から50歳代のメンバーからなる地域の交流と活性化を目的とした非営利の任意団体です。
地元・近隣の7つの町会、3つの商店会のメンバー、地域外のメンバーが参加しています。工場主、商店主、会社、学者、デザイナー、音楽家、歌舞伎役者、アーティストなど異業種の人材約140名(2009.4.1現在)で構成しています。
(港区社会福祉協議会登録ボランティア団体)
HP(http://www.ifaps.org/kai.html)



【主催】明治学院大学国際平和研究所×白金志田町倶楽部 
※このプロジェクトは明治学院大学国際平和研究所サブプロジェクト
「平和学の空間的実践」の一環に位置付けられています。
【共催】明治学院大学教養教育センター
※「アートを通じた新しい教養教育の探求」
【協力】白金商店会/魚らん商店会/NPO法人こえとことばとこころの部屋(http://www.cocoroom.org)/ みなとケーブルテレビ
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by gowest2008 | 2010-02-02 12:56


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