Go Westな日々


GoWest2008農とアートと贈与の旅から始まった私たちのGoWestな日々をつづる
by gowest2008

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夜空教室at渋谷・宮下公園プラスそのほかのこと


宮下公園でGO WEST論を語る日の一日前。
私は新宿に用事があったので、そこから湘南新宿ラインに乗り、戸塚へ向かっていた。

今までだったら、ただぼんやりと眺めていた風景も、
GO WEST論を語る会場となる宮下公園を通る瞬間だけ
私の目には、はっきりと目に残った。

ブルーシートで覆われた小屋が立ち並び、ナイキ化に反対する幕みたいなものもチラッと見えた。
やっぱり、写真や文献ではわからない「その場の空気」みたいなものは、現場に行かなきゃわからない、体感してみなければわからない、
と思い、次の日のGW論は何が起こるのか、不安よりもドキドキというような、なんとも表現しがたい感情が私のことを包み込んだ。

当日は、他の人よりも少し早く着いたので、公園の中を歩き回り、議論ができそうな場所を探し求めていた。

第一印象は「予想外に多様な人がいる。」ということ。

ホームレスのおじさんから、通りぬけに使っているサラリーマン風の人、地べたに座り込んで何かを話している若者たち…。

この場でデモや表現活動をする意味がなんとなくわかるような気がする。
多様な人が集まる場で、デモや表現活動をするからこそ、いろんな意見が出てくるし、そこから議論は発生し、新たな課題に気づいたり、いつの間にか問題を解決してしまうかもしれない。

もし、ここを有料化してしまったら、「お金を払う人」という特定の人しか集まらない。

排除とか、難しい問題が含まれている公園だけど、単純に「いろんな人を迎え入れる場」として、この公園はこのままであってほしい。と、思った。

GW論の中で私が印象的であったのは、「大学における自治のあり方」の話。
匿名による授業評価の話を聞いて、そういえばゼミの先生に、
「視察の人が来た際に学校生活のことや、ゼミの授業のことを、視察の人に話をしてあげてほしい」
と、頼まれていたことを思い出した。その時は何も考えずに、引き受けてしまったが、改めてこの話を聞き、
なんだか複雑な心境になった。
自分が意見をいうことで、もしかしたら学校になんらかの変化を与えることができるかもしれないが、それは学生からの一方通行でしかない。しかも、直接面に向かっていうわけでもない。

本当に、意味があるのか。
顔を見ない、一方通行のやり方で、本当に学校は変わるのか。

顔をみて、相手の表情をみて、本当に言いたいことは何なのかを読み取りながら、自分の意見を伝える。

多くの学生が集まる中でそういった話し合いの仕方は難しいはずだが、妥協してはいけない問題なのだと思う。

また、「教授のなかでも自由な議論ができない」と、いう話があったが、
憲法で言論の自由が保障されている。だから、自由に論議できる権利はだれしもが持っている。
でも
言論の自由は、時に暴力的な要素も含まれると思う。
匿名で人の悪口をネット上に流すのも、言論の自由と言ってしまえばそれまでだ。

表現すること、自分の意見を発表すること。
それの秘められた可能性、難しさを感じた夜であった。


*********

話は変わって、今週の月曜日、農園スタッフのさきちゃんが学校で話すと聞いて、聞きに行った。

障害をもった人と一緒に仕事をするとは、どういうことなのか。

コミュニケーションとのとり方、障害の有無関係なく接している仮屋崎さんの話、そして「言葉で話さない人の言葉に注意を払う」ということ。

そんな話に刺激されて、1日だけではあるが今度障害を持った人と一緒に働くことになった。

話をヒントに、1日体感し、このことを農園で何か還元できたらと思う。

そして、明後日からの3日間。
学祭が始まるが、そこで私のサークルは手話を使った劇に挑む。
この劇には、毎年多くの聴覚障害者の方にもお集りいただいている。

コミュニケーションを図りながら、ひとりひとりの方とできるだけお話し、
この夏のGWで考えたことを踏まえながら
話を聞いてみたり、考えてみたいと思う。

そんなことも考えながら、3日間後輩たちのことを応援していきたいと思う。

ななうみりか
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by gowest2008 | 2009-10-30 14:21

白金-渋谷-郡上-釜ヶ崎をつないでいく

私は10月20日

白金で「GoWest」についてトークした。
でも私が一方的に話していたのでスピークだったなぁと思う。

みんながGoWestについて人に話すことのむずかしさを抱えているけれど、
私なりに今回その壁にぶち当たってみようと思った。

郡上は写真を通じて、その写真を説明することで、私がどんなことをしたのか、伝えられると思った。
どこまでみんなに伝わったのかはわからないが、私なりに郡上という町と私たちがどのようにつながったのか、そして郡上の魅力を表現できたような気がしてる。

しかし、釜ヶ崎を表現する、人に伝えることは難しかった。
釜ヶ崎の写真はあまりなかった(撮れなかった)ので、聞きに来てくれたGoWestメンバーに感想を話してもらった。
言葉だけで釜ヶ崎を伝えることは「その人の中の釜ヶ崎」を伝えることになる。これは私の場合だが、釜ヶ崎を伝えるとき、すごく言葉を選んだり、どこまで言葉にしていいのか、その言葉が現場の人を傷つけてしまうことにならないかなどすごく臆病になってしまう自分がいる。それは、GoWestメンバーの中で先生を含め何回も釜ヶ崎に行っているメンバーがいて、私には知らない部分が多いと思うところがあるからなのかもしれない。でも、先生にも言われたが、大切なことは私たちの生活のなかのもの、こと、問題などがどのように釜ヶ崎とつながっているのかということを伝えることなのだと思う。授業の中で「排除系オブジェ」や「モスキートーン」の話があったが、そういったものも釜ヶ崎とつながっているのではと思う。


そして22日のGoWest講義@宮下公園にも参加した。
宮下公園は2年ほど前に初めて友達と渋谷に遊びに長野から来た時に来た場所で、その時は宮下公園も渋谷も私にとっては都会の象徴だった。その2年後に友達とわくわくしながら歩いた歩道橋の上で授業をやるだなんて思いもしなかった。そこにはゲストがいたり、騒いだりする少年がいたり、通行人がいた。

でも不思議と居心地が良かった。それはやはり、この濃い夏をともにすごしたメンバーがいたからなのだと思う。宮下公園でやったからこそすごく味が出たのかもしれない。

そしてレジュメの中にもあった言葉「挫折した時にどのように生きるか」がすごく印象的だった。挫折した時にもう一度立ち向かおうとはせずに逃げ道を探すことは簡単だと思うが、それではきっと成長しない。立ち向かってこそ人としての面白みがでてくるのかなぁと思った。それは私たちがGoWestを表現することをあきらめないことにもつながっている。私たちにとってたくさんの「固有名」と出会えたからこそ面白かった旅を、他の人が聞いても面白いものにしていきたいと思った。

苦しくても 難しくても 立ち向かっていこうと思えた。
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by gowest2008 | 2009-10-27 14:21

渋谷/10/22/GW論

〜渋谷GW論〜編

蓬団子を片手にMGと大きく全面に押し出され、黄色に煌々と光る洗練された「かっこいい」デザインの広告を通りすぎ、ハチ公で待ち合わせをする。
偶然、これから飲み会だという大学の友達に出会う。また、渋谷は講義の後日にも食事するために出向いていて、その友達や自分が食事で行く渋谷と比較してみると、自分にとっての渋谷は巨大なショッピングモールのようなものでしかない。しかし宮下公園という特殊な場で、本来見てこなかった側面を見て、感じる。
段ボールを拾うときの周囲の人、講義中に通りすぎる人、ホームレスだと思われる人、スーツ姿の人、様々な人の視線を感じる。

こちらの体勢を覗き込むように、行ったり来たりする人は何を思うのか。

自分は、居たたまれない気持ちもあれば、自分がやってはいけないことをやっているという高揚感も覚えた。


無機質に並ぶ、権力を誇示しているようにも見える巨大な建物のなか、外界との境界を取り払うことで、遊歩道の上は開かれた場となっていたように思える。
鷲田清一の「あわい」の空間であり、自分の顔や身体を差し出していたよう。

釜ヶ崎で行った「こころのたねとして」を思い返す。釜ヶ崎の路上と宮下公園から延びる路上は似たものを彷彿させるが、今回は外に発信することなく終えたんじゃないかな。

事件が起きないことが良いのだが、何かあったらおもしろいという呑気なことを、先生の思いも知らずに、思う。

GO WESTは自分のなかで漠然としたもので、自治とは?繋がりとは?と感じることが大半だったが、GW論では感じることと学問的な学びが出来た感じだった。

身体のある器官/器官のある身体の話を聞いて、釜ヶ崎でのココルーム、本島で癒しの島と扱われる沖縄、広島で被爆者となった朝鮮人、日系ブラジル人のメディアの解体などを思い返した。表現し発信する意味についての大きな発見だ。
そして、頭に浮かぶのはそこで出会った人達であった。カマメ通信に載せてもらった記事にもあったが、結局自分が見ていたのは街でなく人なのだと感じた。

日本放浪のあと、生活していても「影」の部分を見るようになった。満員電車に揺られ見える宮下公園。反面、ショッピングモールのなかの公園。

一年前じゃ、目にも留まらないで通りすぎてしまっただろうな。

今日は雨で、こんな日さえも宮下公園に住むと思うと嫌だと思う自分も一方で存在する。

持ちよりで、あそこに小さな宴会のような場があり、チェーン店の居酒屋で、時間制限のコースを堪能するより、おもしろい場や時間だった。


もりたゆうき
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by gowest2008 | 2009-10-27 01:11

GW論 渋谷の路上で 

10月22日。夜の7時。
渋谷の宮下公園で、「go westとは何だったのか」という講義を大学のキャンパスから飛び出して行った。

普段から渋谷は怖いイメージがなんとなくあった。
あまり行かないからよく知らないというのもあるけれど、知らない世界がいっぱいあって戸惑ってしまう。


宮下公園も初めてで、薄暗くて、去年までの私だったら避けて通るような公園だった。立ち入り禁止のフェンス。今までの自分だったら何のためのフェンスかよくわからなかっただろうなと思う。ところどころに見えるビニールシートで覆った建物。路上生活者がいた形跡。もちろん、そこに住んでいる方がどのような方かは会ったこともないからわからないけれど、今年のgowestで出会った元路上生活者の方とか、少し知っているからこそ、何も知らない不安感は少し取り除かれていた。

そんな公園の一角で段ボールをしいて、食糧を持ち寄って、ミュージックをかけながら、輪を作って座った。

今年のgowestで立ち寄った京都大学のキャンパスの一角に建てられたくびくびカフェのことを思い出す。5年前の京都大学の法人化により、非正規雇用者は5年でクビを切られてしまうという、大学側の意向に怒りを感じた当時の職員が建てた、抗議のシンボルである。
そういうくびくびカフェの、「場所を自分のものにする」という感覚をリアルに感じ取る。妙な緊張感がある。昔、近所のマンションの駐車場の隅に、友達と秘密基地を作って怒られた思い出がふと頭の中をよぎる。


こうやって公園で地べたに座って人が集まって談議している様子は、当事者からしたらなんでもないことなんだけど、外から見たら異様な光景なんだろうなと思う。


先生の話の中で印象的だったのは、固有名と一般名の話。
gowestで私たちが出会ったのは固有名であったはずなのに、帰ってきて、私が何か考えたりするのはなぜか一般名としてとらえてしまいがちだったことに気付く。
大学の授業でも、固有名ではなくて、一般名で話されるのが多いと思う。
なかなか“顔”というものは見えてこない。
そういった中でgowestは本当に特別な授業だなぁと改めて感じる。


釜ヶ崎へ行く前も、「路上生活者」とひとくくりにしてきたけど、実際には、ひとくくりにはできない、さまざまな人に出会った。人や場所も本当はひとくくりにできないはずなのに、自分の中に容赦なく入ってくる情報は一つの価値観を作ってしまう。世界の裏側の情報まで知れるような社会になったけど、隣に住んでいる人のことは全然わからない社会になってしまったなぁと思う。


また、釜ヶ崎で、かなよさんが「知ることは死刑だ。」とおっしゃっていたのが私には印象的だったのだけど、確かに今まで見えていなかったいろんな問題や現実を知ってしまうと、「自分はこの問題を知ったところで何ができるんだ?」と悩んで、苦しくなる。その現実を知る前の世界には絶対に戻れない。
その現実がまるでなかったように振る舞うことは簡単で、でも急に自分を偽っているような感覚に襲われてまた苦しくなる。同じ苦しいなら、その問題の存在を認めて付き合っていく方がいいような気がした。


帰りに立ち寄った居酒屋のお母さん。お母さんが煮たおでんを食べて、話をして、笑った。
今「渋谷」という場所を思い浮かべると、あのお母さんの顔が思い浮かぶ。前より、渋谷はただ怖いと思う場所ではなくなっている。





しずか
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by gowest2008 | 2009-10-26 18:35

GW論@宮下公園 10・22

5限を終えて渋谷に向かう。改札をでて、宮下公園がある方向は曖昧だったがなんとなく歩いていく。途中で外人の路上ミュージシャンの演奏を立ち止まって聴いていると、その友達らしきアメリカ人に話しかけられる。ビラとパンフレットをもらい、どうしてもというからアドレスを交換した(自分のは教えてないが)。

宮下公園は思ったより小さかった。テント小屋を横目に階段をのぼっていくとすでにGWメンバーや先生たちがいてちょっと安心した。

座ってみるやその雰囲気がすごい居心地良くて、きっと一人だったら座ってたら恥ずかしいのに、みんなで居るとすっかり自分たちの場所のようになってるなあと感じた。

こまどりさんやたくやさんがいるからだろうか、いつもの大学のように先生が仕切って話しが進まない。みんな横からいろいろしゃべっている。こういう感じいいなーと思う。この場所だから出る雰囲気なんだろうなと思う。

先生が話し始める。
しがらみについて。
最近この言葉はよく話題になる。自分の中ですっかりネガティブな言葉ではなくなっていることに気づく。しがらみの中で自由に振舞うことが出来るようになりたいと思った。そしてしがらみは自分から作っていくことが大切なのかなと考える。

真正な社会と非真正な社会ということばを始めて知る。
子どものときは学校や自分の近所でほとんど話したことのないやつでもどっかでうわさを聞いたりしてどんなやつかぐらいは知ってた。
生身の人間たちの関係性があって出来ている真正な社会。そういう関係性は一言では言い表せないし、好きだから関わるという単純なものだけではない。一見分かりにくいごちゃごちゃしたもので出来ている真正な社会。

原口さんの文献より。
不安と挫折を経験した後にどのように生きるかが大切といっていた。
自分の価値観が壊されたときに既存の社会秩序に沿って生きていくのか否か。ここの部分は自分の中ですごく印象に残っていて、自分が昨年バックパッカーでインドとかまで行っていろいろ見てきた挙句に、日本に帰ってきて復学して、そういう経験で貧しい人や、つらい生活の現状を見てきたはずなのに、そういう経験を何かに生かそうと考えず、むしろ遠ざかって普通に就職していけばいいやとなっていたときがあって(結局2ヶ月ぐらいたってそれはなんか違うと、自分が嫌になったけど)自分も受動的な生活に退行する傾向があるのかなと思った。
これからどうするかは考えていくとしても、そういうのを改めて言葉で理解できてよかった。


最近夜がすごく寒くなってきている。あれを12月にやるのを想像しただけでしんどい。でもそこで住んでる人がいて、宮下公園で集まったことはそのことをちょっとだけでも身近に考えるきっかけの一つになったのかもしれない。


純一
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by gowest2008 | 2009-10-26 12:39

渋谷のまちと戸塚のキャンパスで

昨日はGO WESTとは何だったのか、あるいは何なのかの講義を渋谷の宮下公園そばの路上で実施。

みんなでダンボールを探したり、食べ物を持ち寄ったり。すぐそばを通る人の視線を感じたり、時折風向きによってゴミの匂いがしたり。ゴミの匂いはしなかったけど、GO WEST展を思い出した一時だった。

話を聞きながら自分の考えにひたろうと顔をあげると渋谷のビルや真っ黒な空が見えるのがなんとも不思議だった。

途中参加だったのと、あの空間に圧倒されていたのと疲れで講義内容はほとんどちゃんと聞いてなかったけど、人は固有名と一般名を持っていて、GO WESTで出会った人々は固有名だったという話は興味深かった。

また、一般名から固有名への交わりの変化や、固有名から一般名への交わりの変化もありうるというのも面白かったし、固有名に交わるだけではなく、一般名から固有名へ交わりを変化させていくこともGO WESTに求められる教養なのだと感じた。

郡上の高校生にアンケートを取るかという話が出ていたけど、まさに固有名と交わるのか一般名と交わるのかなのだと思う。アンケートを実施する場合、一般名から固有名へ交わりを変化させることが必要なのだと思う。

講義の後に行ったおでんやさんでは、最初はお母さんに圧倒されっぱなしだったのに、だんだんと話のテンポや雰囲気に馴染んでいった。

あの場所では固有名も一般名もぶっとんで、ただの人と人が交わっていた。名前や属性をはぎとった上で向かい合う「あわい」の空間。

例として農園を挙げていたけど、わたしにとっても農園はそういう場で、私自身の属性や"今まで"でも"これから"でもなく"今"が試される場である。もちろん"今まで"が垣間見えるシーンもあるけれど、農園に通うのは属性を越えて試される部分を鍛えたいという気持ちがあるのだと思う。

昨日の話はここまで。



今日は授業で「いのちの食べかた」(原作名は"OUR DAILY BREAD")を部分的に観た。字幕も音楽もないけれど、わたしたちが普段口にする食べものができるまでの過程を映したドキュメンタリー映画で一時期話題になった。

ベルトコンベアーで運ばれる大量のひよこ。

宇宙服みたいな装備をしないといけない農薬のかかった野菜。

一匹の雌牛に対して何匹もの雄牛を連れてきて、順番にマウンティングをさせて精液だけを取られるシーン。

あらゆる生き物の時間と空間を奪った上で成立するこの社会。

時間と空間を奪われた生き物たちは不安定化し、暴力化する。

自分の口に入る生きものたちがどんな生き方をしてきたのかを全然知らないことを痛感させられる。

先生の"幸せに生きた生き物はおいしい"という話。

農園で野菜を育てるのは、自分の口に入れるものを社会システムの中から、自分の手で取り戻す作業の一つなのかもしれない。

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かなた
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by gowest2008 | 2009-10-24 00:06

未来のGoWest3期生を前に

 農園や自分の人生について語ってきました。
 
 まだまだ語れないことや自分の中で整理しきれていないことも多く退屈だった1年生もいたのでは?と思います。
 
 今日の授業の前に、配布しようと思っていたGOWEST報告書の自分の書いた部分を読みました。もちろん未完成だけどよく書けているなと正直思ったのと、やっぱり書くことは大切だと思いました。その時はつらくても、書くことで書けるようになっていくし伝えられるようになっていくのだから、書くことはやめないようにしようという決意を新たにしました。そして、時には振り返ってそれをじっくりと読み考える時間も必要。

 GOWESTを2回経験して、自分の生きている場所それぞれ、考えたことそれぞれを結ぶことの大切さを感じています。ばらばらのままにしておかずに、自分の中でゆっくりとつなぎ合わせていくことこそがそれぞれの人が自分にしかできないことなのだと思います。

 昨日の農園からの帰り道、代表にコスタリカに行く意味あるのかと聞かれました。自分でもわからなくなる時もありますが、自分の今やってることを考えてみると「これ意味ある!」と思ってることほど、大したことなかったり、そこでぷっつりときれてしまうことが多いように感じます。最初から用意されている意味はなくて、あったとしてもそれは逆に疑ってみたりする必要があったりして、自分がいかに意味を作り出すか、見出すかが問われてるような気がします。そして、まだ行っていない留学に意味などなく、意味を持つ留学にしていきたいと強く思いました。

 2年前ただただ出会わせてもらう側だった自分が、今回、もちろん自分も出会わせてもらう側でありながら、少しでも出会いの場をつくる若衆にできればなと思います。無事に終えて21歳迎えたいと思います。


かなた
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by gowest2008 | 2009-10-13 02:08


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