Go Westな日々


GoWest2008農とアートと贈与の旅から始まった私たちのGoWestな日々をつづる
by gowest2008

アートミーツケア学会2日目

午前中は、一般の方のプレゼンテーションがいくつも行われる。アウトサイダーアートの捉え方、表現教育の効果を客観的に見る手法、身体のコミュニケーションなどが発表された。午後は、三田の家などでワークショップを行う、障害者とともに音楽を作ろうという「うたの住む家」の朗読発表会。自分がレポーターとして行った12月5日の分科会の報告会。最後に鷲田清一さんと熊倉敬恥「生活のなかのアート、アートのなかの生活」というテーマの講演会が行われた。
分科会の報告会では、自分の報告前にりょうすけさんの報告会が行われた。分科会の内容と整理できていない彼の感想が入り混じる。緊張していることが手の振るえから伝わってきた。しかし、それが終えたときは会場が拍手喝采となった。頭のなかで整理して、整理できて話すことはとても他者に伝えやすい。しかし、まとまっていないことをそのままの良くわからないことも話すことは、そのまとまりのなさも伝えることになる。GO WESTではこのことについてよく考えるのであるが、今回改めて考えさせられた。それとともに伝えることの難しさを知った。
鷲田さんと熊倉さんのトークのなかでは、アートというものが特権階級だけのものではなく生活のなかにあるものだということについて触れられていた。それが「生活にアートを取り戻す」ことかもしれないし「アートに生活を取り戻す」ことかもしれない。GOWESTで「こころのたねとして」をやったり、郡上踊りをしながら地域の人の文化に触れてきたことで、アートと生活について言葉のみの理解だけではなかった。また「奇妙な人が奇妙な作品を作るではなく、普通の人が日常の中で、日常をふっとジャンプする瞬間、その瞬間の可能性にかける」ということが、分科会の上野魚屋マシューさん言っていることと繋がった。
普段自分たちが生活する中で、自分たちの選択で決めることのできないことがあり、専門的なことについては専門家に任せるという状況がある。そのなかで、専門家の言うことについて「専門家が言うことは正しい」という状況が生まれている気がする。それは自分では気付かないことも含まれる。だから、専門家でない人が専門的知識を知ることで、自分の選択することが増えていく。流されないようにしていく。素人の乱のDVDを見てみると、自分の生活に関わることに対して、選択できない領域を発見しそれに対して運動を行う。生活のなかにある流れていってしまうものの流れを変えたり留めたり、棹をさすことが大切なのだと思った。
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by gowest2008 | 2009-12-10 14:56
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