Go Westな日々


GoWest2008農とアートと贈与の旅から始まった私たちのGoWestな日々をつづる
by gowest2008

カフェ連 寄りあう住まい方


きのうは白金校舎にてボランティア学会の主催するカフェ連に初参加。今回のテーマは2人のゲストのコレクティブハウスへのとりくみから住まい方について考えるというもの。

産まれてから一度も引っ越しもしていないし、一人暮らしもしたことがない、さらに親戚がすぐそばに住んでいるため、住まうことに不安を抱いたことや孤独を感じたことがほとんどないわたしはむしろ一人暮らしをちょっとうらやましいとも感じる。

ゲストの方が提案しているのは障害のある人もない人も若い人も年寄りも同じ空間で協力しながら住まうこと。それは支援する側とされる側という関係性の固定ではなく、意志と責任をそれぞれが持つというもの。

関係性が固定されないということはある意味、定義がされないということで、関係性の固定によって確信がもてた意義や義務が関係性の解放により一気に崩れる。
そこで自分がこうする意味は何なのかといったことに深く踏み込んでいく。時には理由なんてないよと思う。
それは時に面倒くさい。固定された関係性の方が楽な時もある。

関係性を切るのは簡単だ。目を閉じる、下を向いて歩く、イヤホンをする。それに比べて関係性を復活したり、築くことはわりと勇気がいる。目を開ける、前を見て通り過ぎるものを見る、イヤホンをはずす。でも意外とやってみると心地がいいし、できるもんだ。

下宿をもう一度復活させたいという話もでた。大学に通うために多くの学生が上京して一人暮らしをする。卒業してしまえば、そこで4年間も過ごした時間があるのに再び行ってもその地域に根差した人々と顔を合わせ、泊まる場所はない。そういうのはさみしいことだと思う。

人生の中でそれぞれの場所で過ごす時間がそれぞれでコマぎれになってしまい、自分の人生がつづいているもので連なりのあるものだという考えにも及びにくくなるのではないか。また、大学が下宿を斡旋していたという話を聞いて、下宿は地域と大学とのかかわりにも大きく貢献するもので、地域住民のために開く講演会なんかより住民の生活の助けにもなる部分があるし、下宿生に迷惑かけられてもなんとなく一緒に住んでいれば愛着がわいたりするのではないかとも思う。戸塚のまちに受け入れられていない感じがするのは、そういったことも関係しているのかもしれない。


最後に子ども部屋はなくすべきだという意見が出た。わたしはう~んという感じ。わたしの家は自分の部屋なんてないも同然で、そのかわり共用スペースが大きい。小さいときは家自体が秘密基地みたいで、小さいからとても大きく感じた滑り台が家の中にあったり、なげしに縄跳びで結びつけたクマのリュックサックをブランコにしてよく遊んだ。わたしにとって家は一人で勉強するところではない。そんな自分の家が大好きだったけど、今はもっとちゃんとした個室が欲しいと思う。でも、家族の面倒くささから逃げられない中で、育ってきたことは自分にとってよかったとも思う。

久々にほとんどが知らない顔ぶれの中にgowestメンバーといたような気がする。こういう緊張感は久しぶりだなと感じる。GO WESTが層になってきたり、ある場所に知り合いができてきたりして、そこに再び行くとほっとする気持ちも大事だけど、じっくりと時間をかけてつくってきたものを自分なりにつなぐこと、新しい人や場所にぶつけることも大事だと思った。そこでこそつながる力が試されるし、活きるし、活かさなければいけないのだと思う。


かなた
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by gowest2008 | 2009-11-09 02:08
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