Go Westな日々


GoWest2008農とアートと贈与の旅から始まった私たちのGoWestな日々をつづる
by gowest2008

渋谷/10/22/GW論

〜渋谷GW論〜編

蓬団子を片手にMGと大きく全面に押し出され、黄色に煌々と光る洗練された「かっこいい」デザインの広告を通りすぎ、ハチ公で待ち合わせをする。
偶然、これから飲み会だという大学の友達に出会う。また、渋谷は講義の後日にも食事するために出向いていて、その友達や自分が食事で行く渋谷と比較してみると、自分にとっての渋谷は巨大なショッピングモールのようなものでしかない。しかし宮下公園という特殊な場で、本来見てこなかった側面を見て、感じる。
段ボールを拾うときの周囲の人、講義中に通りすぎる人、ホームレスだと思われる人、スーツ姿の人、様々な人の視線を感じる。

こちらの体勢を覗き込むように、行ったり来たりする人は何を思うのか。

自分は、居たたまれない気持ちもあれば、自分がやってはいけないことをやっているという高揚感も覚えた。


無機質に並ぶ、権力を誇示しているようにも見える巨大な建物のなか、外界との境界を取り払うことで、遊歩道の上は開かれた場となっていたように思える。
鷲田清一の「あわい」の空間であり、自分の顔や身体を差し出していたよう。

釜ヶ崎で行った「こころのたねとして」を思い返す。釜ヶ崎の路上と宮下公園から延びる路上は似たものを彷彿させるが、今回は外に発信することなく終えたんじゃないかな。

事件が起きないことが良いのだが、何かあったらおもしろいという呑気なことを、先生の思いも知らずに、思う。

GO WESTは自分のなかで漠然としたもので、自治とは?繋がりとは?と感じることが大半だったが、GW論では感じることと学問的な学びが出来た感じだった。

身体のある器官/器官のある身体の話を聞いて、釜ヶ崎でのココルーム、本島で癒しの島と扱われる沖縄、広島で被爆者となった朝鮮人、日系ブラジル人のメディアの解体などを思い返した。表現し発信する意味についての大きな発見だ。
そして、頭に浮かぶのはそこで出会った人達であった。カマメ通信に載せてもらった記事にもあったが、結局自分が見ていたのは街でなく人なのだと感じた。

日本放浪のあと、生活していても「影」の部分を見るようになった。満員電車に揺られ見える宮下公園。反面、ショッピングモールのなかの公園。

一年前じゃ、目にも留まらないで通りすぎてしまっただろうな。

今日は雨で、こんな日さえも宮下公園に住むと思うと嫌だと思う自分も一方で存在する。

持ちよりで、あそこに小さな宴会のような場があり、チェーン店の居酒屋で、時間制限のコースを堪能するより、おもしろい場や時間だった。


もりたゆうき
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by gowest2008 | 2009-10-27 01:11
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