Go Westな日々


GoWest2008農とアートと贈与の旅から始まった私たちのGoWestな日々をつづる
by gowest2008

みかん山で戦争を考える

というタイトルの勉強会を含む、静岡・みかんトラストファームでの2日間を過ごしてきました。
まぁ予定は未定であって、いろいろとありましたね。以下、かなたの感じたことです。



 1日目夜、ギターの音に合わせてその場にいたすべての人がその人の人生について語る。地域のおじさんの一人は「人生いい時もあれば悪い時もあって、波がある」とおっしゃっていた。
 
 それに対して、先生はかなり熱く、「流されちゃいけないこともある!『大人』の論理で流された先に戦争があるんだ!!」と言っていた。

 どちらの話も本当で、流されそうになる弱い人間だし、流されちゃったりもするし、時には流されることも大切だけれど、ここだけはという時は、流されず自分の考えを貫くことが必要なのだと思う。それがひとつの自治のかたちなのではないだろうか。「大人」の論理を語らない大人になるためには自治をしなければいけないんだと思う。

 山梨さんは、「農家になりたくないから工業高校に行って建築業に進んだのに、今お父さんのみかん農園をやっているのがなぜなのか未だに分からない。でも、理路整然としてないのが人生だ。」と言っていた。また、「ここ(山小屋)に人が来るということが、ここを続けていくためのモチベーションにもなる」と言っていた。いつも本当に良くしていただいているわたしたちも少しは力になれているのだろうか。そう思うと少し嬉しかった。

 昨年のGOWESTでめぐった3つの場所(静岡みかんトラストファーム、郡上八幡、cocorooom)は、どこも多様な人々が集う場所で、“くるまざ”が存在していた。そういう場をつくる難しさをどこも抱えていたけれど、そういう場を持ち続ける意味を感じたし、難しさを感じているけれどどこか楽しそうだった。

 そういう場を作りたくて、GOWEST展というものをやったのだけれど、やっぱりとても難しかった。もちろんGOWESTでめぐった場所のような大変さというものは感じられなかったけれど、その一端は感じられたのだと思う。
 
 今回、山梨さんの言葉を聞いて、山梨さんたちがつくる場は変わらない価値を持ちながら、そこに集まる人々がそのたびにつくっていく価値も持っているのだと感じた。

 今回の人生の話、家族の話は去年より染みた。
 
 GOWESTに参加してからいつも思うことは、人との縁は2度目からということ。人との関係性って深くなればなるほど面倒くさいものでもある。「あの人がいるから」とか「あの人にお礼をしなくちゃいけないから」といって多少無理することもある。

 大学の授業での先生や勉強の対象との関係は自分が興味を失ったり、授業のタームが終わってしまえば簡単に切ることができる。そういう関係性しか持たないことはある意味では賢いし、楽なのかもしれない。でも、面倒くささこそ関係性の深さの証だし、だからこそ見えてくるその人やものごとの本質があるはずで、そういったときに初めて「出会った」と言えるのではないだろうか。そう考えるとわたしの人生で「出会った」と言える人は少ないと思う。多いことが良いことというわけではないが、人と「出会う」ことができるのが、大学の授業という枠を超えたGOWESTの一つの意味なのだと思う。

 勉強会のテーマとしてあった戦争。作業の中で小さな生き物たちについて考えたことからつながる戦争。人生を生きる中で、世の中に流されてしまうことでつながっていってしまう戦争。考えれば、そこらじゅうに戦争がある。普段、自分のテーマとしてある国際平和に貢献するということ、自分のゼミで学んでいる日本の戦後国際関係とGOWESTをつなげるきっかけはきっとたくさんある。今まで、そういう発想をあまりできないできたが、今回の2日間では自分からもっとつなげていくことを課題としてもらったように思う。

 
 とても個人的な話として付け加えると、勉強会の中で仲間を増やすことの難しさについて言及された場面があった。仲間を増やすためには、その人自身が楽しむことに加え、その人が魅力的な人であることも大切だと思う。あの場に集まった学生たちは、先生の人間性やことばによって集まった。

 でもただ集まっただけでは与えらるものはほとんどなく、それを得るためには自分が動くことが求められる。1日目山小屋に着くなり、誰かが指示したわけではないが、山小屋に行ったのが初めての人も、3回目の人も、今日初めて出会った人がたくさんいても、みんなテキパキ必要な作業を行っていた姿が印象的だった。

 みんなのテキパキの素はなにかと考える。わたしがテキパキできたのは、「わたしがやらなくても、誰かがやってくれる」から。最近は農園でも同じことを感じる。「わたしがやらなくても、誰かがやってくれる」からこそ、「自分がやろう」と思える。ちょっとつらくなっても大丈夫だなと感じる。「わたしがやらなきゃ、誰もやってくれない」という中ではとてもできないと思う。一緒にその場をつくる誰かへの信頼があるからこそ、動くことができる。このことも自治の場をつくるひとつの大切な要素だと思う。



 1年前のわたしと同じこと、違うこと、もっと深いことを感じる2日間でした。




かなた


 
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by gowest2008 | 2009-08-02 01:39
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